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アントワーヌ・ローメ・デラモサ・キャデラック
antoine Laumet de LA Mothe sieur de Cadillac(1658-1730)
キャデラックはフランスのピレネー山脈ガスコニーで生まれた
後にデトロイトを築く人物となる
彼の父ジャン・ローメは商家の出である
金持ちであったローメ家はキャデラックをイエズス会の学校にいかせた
その後、キャデラックの保護者となるルイ14世の命令でカナダに渡る
ポート・ロイヤルの要塞で軍指令官をする
ルイ14世にはあまり好かれていなかった
ポート・ロイヤルでは「フランスを追われた荒くれ物」として扱われた
また、当時インディアンとブランデーの貿易をしており
上司に睨まれていた
しかし、一方で非常に「立派な男で、器量があり、機敏で、断固たる態度、戦術、如才なさを備えている」と賞賛されている
北大西洋沿岸の地理には非常に詳しく、フランス軍のボストン、ニューヨークを強襲、イギリス軍の攻勢からメイン州を守るために地図を作った
私生活では1687年、マリー・テレセ・グイヨンと結婚
その後すぐに、キャデラックは弁護士を目指すことにしたがデメニバル長官の反対で断念する
若きキャデラックはその後、五大湖の近くに移住した
彼はエリー湖とセントクレアを結ぶ海峡(フランス語でd'etroit)を見て戦略的重要性をすぐに認識した
キャデラックはフランスに戻るとそこに要塞を築くように植民地担当大臣のポンチャートレインに進言した
1701年夏、キャデラックは王の勅旨状を受け、50人の兵隊、50人の移民と共に後のデトロイトに要塞を築くことになる
夫人とキャデラックは10年間、植民地経営をした後、1710年から1717年までルイジアナ州へ長官として転任した
キャデラックはフック船長に似た風貌で性格も感情的で傲慢な所もあったようだ
人々の反感を買い、空想家と嘲笑されたキャデラックだったが先を見通す感覚にすぐれていた
彼の功績は学校、病院、教会の建設を進めインディアンとの結婚を認め地域住民との調和を図ったことである
晩年はフランスに呼び戻された後、南フランスに6年間住んだ
キャデラックには13人の子供がいたが、現在直系の子孫はいないようだ
後に、自動車産業の草分けヘンリー・リーランドは車にこの名前をつけることになる
リーランドがこの名前を選んだのは彼の功績だけではなくキャデラックがデトロイトの街を愛していたからだろう
リーランドは1903年にキャデラック車を生産開始
キャデラックは高級車であり、最初に自動スターターを導入したことでも知られている
今日でも、キャデラックは最高の品格を人々に呼び起こさせる名であることには間違いない
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