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チャールス・グッドイヤー
Charles Goodyear(1800-1860)
チャールス・グッドイヤーはタイヤを作らなかった
彼にちなんで命名されたゴム、タイヤメーカー、グッドイヤー・タイヤ・アンド・ラバー・カンパニーは彼の死後、約40年の後1898年に設立された
チャールス・グッドイヤーは12月29日、コネチカット州ニューヘブンで6人兄弟の長男として生まれた
チャールスの父アメサは金物屋を商いとしていた
チャールスは父のもとで数年働いたが、最終的には生涯にわたる関心ごとであるゴム加工業に執念を燃やしていた
興味をもったインド産の生ゴムは特徴ある製品であったが熱すると溶けてベタベタになるという問題があった
チャールスはこの問題を解決することで商業上の大きな成功をもたらすと考えていた
1837年、チャールスは窒素酸化プロセスを開発、ゴムの性状を改善していった
そして、ゴムを改良し郵便袋を作りアメリカ郵便局に販売したが熱で溶けてしまい失敗に終わってしまった
この事業に多額の投資をしていたため続く失敗に大きな痛手を負った
チャールス一家は貧困に追い込まれチャールスは途方にくれた
チャールスは1824年、ニューヘブンでクラリッサと結婚した
二人には12人の子供がいたが十分な医療が受けられず半数が幼少時に亡くなった
グッドイヤーは貧困のため、船の乗船賃5セントが払えず乗船を拒否されたりホテルの宿泊費が払えず投獄されたりしていた
ゴムと硫黄を混合させ、品質を上げるゴムを発見したナタニエル・ヘイワードの事業にグッドイヤーは投資した
1839年のある日グッドイヤーは実験中、誤って硫黄の混ざったゴムをストーブに落としてしまった
しかしこの偶然が耐熱性ゴムの発見となった
ゴム生産を始めたグッドイヤーは1844年、特許を取得した
その加硫ゴムの特許を火の神バルカンにちなんで「バルカニゼーション」と呼んだ
1851年、グッドイヤーは国際博覧会に出品した
そのイギリス国際博覧会ではゴム製のイス、インク壷などを出展していた
そこで最優秀賞を獲得、参加者やマスコミの注目を浴びた
しかし、その後グッドイヤーは十分に報われることなく次々と不幸に見舞われていく
妻のクラリッサは2年後に死亡し、さらにグッドイヤーは2年後にパリの刑務所に投獄されてしまう
グッドイヤーへの特許侵害は続き、多数の裁判を抱えていた
無断で特許を使用した者が成功していく一方、彼の債務は増えつづけチャールス・グッドイヤーが死亡した時には20万ドルもの負債が残った
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